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東京地方裁判所 昭和59年(行ウ)153号 判決 1988年3月28日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

杉本幸孝

宮川勝之

米倉偉之

被告

社会保険庁長官

吉原健二

右指定代理人

田中澄夫

外七名

主文

被告が原告に対し昭和五二年五月一六日付けでした厚生年金保険法による遺族年金を支給しない旨の裁定を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外乙山太郎は昭和五二年一月一五日死亡した。同人は死亡当時厚生年金保険の被保険者であつた。

原告は、太郎の内縁の妻であり、厚生年金保険法(以下「法」という。)五九条一項に規定する遺族年金の受給権者たる「配偶者」に該当する。

2  原告は、同年三月二日、法三三条に基づき、被保険者太郎の配偶者として、同法による遺族年金の支給裁定を請求した。

被告は、同年五月一六日付で、太郎には戸籍上の妻乙山春美がいるので、原告は法五九条一項に規定する「配偶者」に該当しないことを理由として右年金を支給しない旨の裁定(以下「本件裁定」という。)をした。

原告は、本件裁定を不服として、昭和五二年六月一日、東京都社会保険審査官に対し審査請求をしたところ、同年七月一八日付けで棄却され、これを同年八月三日に知り、同年九月三〇日、社会保険審査会に再審査請求をしたが、昭和五九年九月一〇日付けで棄却された。

3  本件裁定の違法性(受給要件の認定の過誤)

(一) 重婚的内縁関係にある者が法五九条一項に規定する「配偶者」とされるための要件について

婚姻関係にある被保険者が同時に他の者と内縁関係にある場合(いわゆる重婚的内縁関係の場合)、婚姻関係がその実体を失つたものとなつているときにおいては、内縁関係にある者を以て遺族年金の受給権者たる「配偶者」とすべきである。

(二) 原告と太郎との内縁関係

原告と太郎は、昭和三一年ころ知り合い、昭和三二年暮ころから夫婦としての共同生活を行う意思のもとに、昭和五一年一二月に同人が死亡するまでの約二〇年間、共同生活の本拠を有して同居し、同人の収入により生計を維持していた。二人の間には長男一男(昭和三三年一二月一二日生)、次男次夫(昭和三七年三月二三日生)が出生し、太郎は右二人を認知して相協力してこれを養育してきた。二人は世間からも夫婦として認められ、結婚の仲人を勤めたこともあり、原告は太郎の親類と付き合いがあつた。また、原告は、労を惜しまず太郎の事業に協力し、昭和五一年一二月に同人が入院してからはずつと付き添い看護してその最期を看とり、同人の死後その葬儀を主宰し、遺骨を祭つている。

このように原告と太郎とは婚姻の届出はしなかつたが、同人の死亡当時、事実上婚姻関係と同様の内縁関係にあつた。

(三) 太郎と戸籍上の妻春美との関係

(1) 太郎は昭和八年四月一日に春美と婚姻の届出をし、二人の間には、長女夏子(昭和八年三月二二日生)、長男一郎(昭和九年五月二六日生)、二女秋子(昭和一二年に死亡)、三女冬子(昭和一八年七月二四日生)が生まれている。

(2) しかし、二人は当初からうまくいかず、昭和一二年ころには顔さえ見ればいがみ合い、けんかが絶えない状態になつていた。太郎は何度か離婚を考えたが、春美の母に説得され思い止まつた。

戦後、夫婦仲はさらに悪化した。夫婦げんかが度々あり、相互に相手の異性関係を疑うなど、相手を信頼できない状態になつていつた。春美は太郎の行商の仕事を馬鹿にして非協力的であつた。太郎は昭和二二年一二月に上下水道工事の請負事業を開業したが、春美は、全く協力せず、資金の融資者に対して金を貸さないよう頼むなどかえつて妨害する始末であつた。

昭和二四年ころになると、夫婦仲は一層険悪となり、けんかが絶えず、太郎は立正佼正会に入信してみたりしたが、春美の態度は改まらなかつた。そのため、離婚話がもちあがり、春美の母の説得で太郎が思い止まつたことがあつた。

同年、春美は、太郎が事業のため帰宅が遅くなつたことを外で遊興しているためと思い込み、出刃包丁で太郎に切りかかるに及び、同人は、生命の危険を感じて東京都文京区○○町に家を借りて事務所を置き、ここに度々寝泊まりするようになり、同人と春美との別居状態が始まつた。

(3) 太郎は、別居後しばらくの間は、用事がある都度、春美らが住む東京都板橋区△△町の居宅に立ち寄つていたが、その後、原告と同居を始めてからは次第に立ち寄らなくなり、昭和三三年五月ころからは全く立ち寄らなくなり、以後、太郎と春美の間の音信は絶えた。

太郎は、別居後、春美に対し生活費を給付しなかつた。

(4) 春美は、別居後も引き続き右居宅に居住していたが、昭和四九年一一月頃、太郎が右居宅を売却したため転居し、その後暫く都内で暮らした後、冬子を頼つて長崎市の同女の嫁ぎ先へ移り住み、同所で昭和五五年八月一日に死亡した。

その間、春美は、太郎との関係を修復する意思は全くなく、そのための努力も何らしなかつた。そして、太郎が昭和五一年に入院してから死亡するまでの間見舞いにも訪れず、太郎の葬儀に出席せず、弔電すら寄こさなかつた。

(5) なお、太郎が昭和四九年まで春美を太郎所有の右居宅に居住させていたのは、三人の子供らに対し、独立するまでの住居を提供するためと、後記離婚条件として春美に対する財産分与の履行のつもりであつた。

(6) 太郎は、春美に対し、別居離婚交渉を始めたが、同女は協議離婚に応じなかつた。そこで太郎は、昭和三八年に東京家庭裁判所に離婚調停の申立てをしたが、春美の扶養の問題などにより、結局調停は不調に終わつた。その後も慰謝料ないし財産分与として前記△△町の居宅(同居宅売却後は、東京都文京区○△五丁目の土地、建物)を与えることを条件に離婚交渉を継続したが、春美はこれに応じなかつた。その後太郎は昭和五一年一一月、再度離婚調停の申立てをしたが、同人の前記入院、死亡のため話し合いはなされずに終わつた。

この間、春美は太郎に対する憎しみから形だけでも籍は抜くまいと意地を張つていたにすぎず、離婚という夫婦共同生活の廃止自体は認めていた。

(7) 以上の事実によれば、太郎と春美との婚姻関係は、太郎が原告と知り合う以前から別居状態となつて破綻し、太郎が原告と共同生活を始めた後は、別々の生活状態が確固たるものとなり、夫婦としての音信はなく、これを修復する努力は一切なされず、互いに夫婦としての共同生活を廃止していたもので、その実体を全く失つていたというべきである。

(四) 以上によれば、原告と太郎とは内縁の関係にあり、他方、同人と春美との婚姻関係は、その実体を全く失つていたものであるから、原告は法三条二項にいう「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」として法五九条一項に規定する遺族年金の受給権者たる「配偶者」に該当する。

したがつて、本件裁定には右要件について認定を誤つた違法がある。

4  本件では、戸籍上の妻であつた春美に対しても遺族年金が支給された事実はない。これは、被告が太郎と春美とが生計維持関係になかつたと判断していたために他ならない。それにもかかわらず、被告が原告に対しても遺族年金を支給しないとする姿勢は、保険制度の趣旨、目的に照らし極めて理不尽であり許されるべきではない。

本件裁定はこの点においても違法がある。

5  よつて、本件裁定の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1について

同1前段の事実は認める。

同1後段のうち、原告が太郎の内縁の妻であることは不知。遺族年金の受給権者たる「配偶者」に該当するとの主張は争う。

2  同2の事実は認める。

3  同3について

(一) (一)の主張は、一般論として争わない。

(二) (二)の事実のうち、原告と太郎との間に長男一男(昭和三三年一二月一二日生)、次男次夫(昭和三七年三月二三日生)が出生し、太郎が右二人を認知していることは認めるが、その余の事実は知らない。

(三) (三)について

(1) (1)の事実は認める。

(2) (2)の事実のうち、太郎が昭和二二年一二月、上下水道工事の請負事業を開業したこと、昭和二四年ころ同人が東京都文京区○○町に家を借りて事務所を置いたことは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。

(3) (3)の事実は否認する。

(4) (4)の前段の事実は認めるが、後段の事実は知らない。

(5) (5)の事実は知らない。

(6) (6)の事実のうち、太郎が、昭和三八年東京家庭裁判所に離婚調停の申立てをしたが調停は不調に終わつたこと、その後も△△町の居宅を与えることを条件に離婚の申し入れをしたが、春美が応じなかつたこと、太郎が昭和五一年一一月、再度離婚調停の申立てをしたが、同人の死亡のため話し合いはなされずに終わつたことは認めるが、春美が離婚を認めていたとの事実は否認する。その余の事実は知らない。

(7) (7)の主張は争う。

(四) (四)の主張は争う。

4  同4について

春美に対し遺族年金が支給されていない事実は認めるが、同女から同年金支給の裁定申請がなかつたため支給されていなかつたものである。原告の主張は争う。

三  被告の主張

1  重婚的内縁関係にある者が法五九条一項に規定する「配偶者」とされるための要件について

被保険者をめぐり重婚的内縁関係が存在する場合に、被保険者と婚姻関係にある者と重婚的内縁関係にある者のいずれを法五九条一項に規定する「配偶者」として認めるべきかは問題であるが、民法上婚姻の成立が届出により法律上の効力を生ずる法律婚主義が採用されていること及び年金支給の関係で内縁関係にある者を配偶者として認めた趣旨は、右法律婚主義によつて生ずる欠陥を補い実情に即したものにしようとすることにあることからして、婚姻関係にある者を優先すべきことは当然であり、婚姻関係がその実体を全く失つたものになつている場合に限り、重婚的内縁関係にある者が法五九条一項に規定する「配偶者」に該当すると解するべきである。

そして、いかなる状態をもつて婚姻関係がその実体を全く失つたものになつているというのか一義的に定めることは困難であり、具体的事案について個々に認定するほかはないが、例えば、当事者が離婚の合意に基づき夫婦としての共同生活を廃止しているが、戸籍上離婚の届出をしていないときや、一方の悪意の遺棄によつて家族に対する生活費の給付、音信などが全くなされず、その共同生活が行われているとは認められない場合において、当事者双方の生活がそのまま固定していると認められるときなどのように、客観的、主観的の面いずれからみても、婚姻関係が実体を全く失い、その状態が長年継続している場合にはじめてこれに当たるといえる。

したがつて、婚姻関係が多少なりともその実体をとどめているときは、戸籍上の妻が右条項にいう「配偶者」と認められるべきであり、たとえ別居生活の状態にあつても、当事者双方に離婚の合意がなく、その意思もない場合、あるいは、一方の悪意の遺棄による場合でも、戸籍上の妻に対して生活費、子供の養育費等の経済的給付や音信、訪問等が行われている場合には、婚姻関係は実体を失つていないとみるべきである。

2  太郎と春美の夫婦関係について

(一) 太郎と春美は、生活苦などを原因とする夫婦げんかはあつたものの、昭和三二年ころまでは同居して正常な夫婦生活を営んでいた。春美は、戦後、太郎とともに魚の行商を行い、家計を支えていた。

春美は太郎が上下水道工事請負業を開業するに当たり積極的に賛成しなかつたが、それは、従来の同人の仕事振りからみて将来に不安を抱いたためであり、また、同人が事業資金の融資を受けていた高利貸に対して、太郎にそれ以上融資をしないよう申し入れたこともあつたが、それも、同人のためを思つてのことであつて、理由なく同人の事業を妨害したことは全くなかつた。むしろ、春美は、太郎の事業が不安定なため、和裁に励んで家計を維持するなどして、側面から同人の事業に協力していた。

しかるに、太郎は、原告と親密になり、昭和三二年ころには春美と同居しながら原告のもとへ通うという状況になり、その後原告と同棲するに至つた。

(二)(1) 太郎は、別居後も春美の生活費及び冬子の養育費を毎月給付し、冬子の結婚後も、春美に対し、昭和四四年ころまでは送金により、それ以後昭和四九年までは長女夏子に持参させて生活費の給付を続けた。ただ、給付額は次第に減額されたが、少なくとも月額二万円は太郎の意思に基づき給付されていた。

(2) 春美が請求原因3(三)(4)のとおり昭和四九年に転居するに当たり、太郎は同年九月一八日付け念書をもつて、春美に対し、月額七万円の生活費(部屋代を含む)を支払うことを約束し、春美が長崎市に転居するまでの間、右生活費を給付していた。また、太郎は春美の転居先のアパートの家賃を支払つていた。

(3) 春美は、太郎と別居後病気がちで働くことができず、△△町の居宅に居住していた間、その一部の賃貸により僅かの収入を得ていただけであり、太郎から給付される生活費に依存して生活していた。

(三) 太郎は、昭和五一年八月二四日、遺言公正証書を作成し、その中で、同人所有の東京都文京区○△五丁目所在の土地、建物を春美と冬子に持分二分の一ずつ相続させる旨を遺言している。

(四) 以上の事実関係からすれば、太郎と春美とは昭和三三年ころから別居状態にあつたが、離婚の合意がなされたことはなく、同女の側には全く離婚の意思はなかつたことが明らかである。そして、両者が別居した原因は、太郎の原告との不貞行為にあり、太郎が春美を悪意によつて遺棄したものであるところ、別居状態にあつても太郎は、春美に対し、同女が長崎市に転居した後太郎の死亡するまでの僅かな期間を除き、終始一貫して生活費(及び子供が成人するまでその養育費)等の経済的給付を行つていたうえ、それに付随して時には音信、訪問等も行われていたのであり、したがつて両者の婚姻関係はその実体を失つていなかつたものと認められる。

したがつて、彼に原告が太郎と内縁関係にあつたとしても、原告は法五九条一項に規定する「配偶者」には該当しない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の主張のうち前段は争わないが、その余の部分は争う。

2  同2について

(一) (一)の事実は否認する。

(二) (二)について

(1) (1)の事実のうち、太郎が春美に対し、生活費を給付したとの事実は否認する。

太郎が春美に対し別居当初金員を給付していた事実はあるが、これは、冬子の養育費及び事実上の離婚に伴う慰謝料等の趣旨で給付したものである。

また、夏子が春美に金銭を持参した事実はあるが、これは夏子が太郎の承諾を得ずに勝手に持参していたものである。

(2) (2)の事実のうち、太郎が春美に対し被告主張の内容の念書を差し入れたことは認めるが、その余の事実は否認する。

右念書は太郎が春美に△△町の居宅を立ち退かせるための口実として差し入れたものである。

(3) (3)の事実のうち、太郎が春美に対し生活費を給付していたことは否認する。その余の事実は知らない。

(三) (三)の事実は認める。

しかし、太郎がこのような遺言を作成した目的は、戸籍上の妻でない原告を保護することにあり、春美に対し、土地、建物を与えることとしたのは、離婚に伴う財産分与ないし慰謝料を給付する趣旨である。右は、太郎が春美に対し遺言の対象となつた東京都文京区○△五丁目の土地、建物を財産分与ないし慰謝料として与えることを条件に離婚交渉をしていたことからも明らかである。

(四) (四)の事実は否認し、主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1前段の事実及び同2の事実は、当事者間に争いがない。

二重婚的内縁関係にある者が法五九条一項に規定する「配偶者」とされるための要件について

死亡した被保険者をめぐり重婚的内縁関係が存在する場合の取扱いについては、内閣法制局が、「国家公務員共済組合法にいう配偶者の意義について(昭和三八年九月二八日決裁)」をもつて、重婚的内縁関係が存在する場合における同法二条一項二号イにいう「配偶者」として共済給付を受けることができる者の解釈について、現行法のとつている婚姻の届出主義及び婚姻に関する社会一般の倫理感からいつて、婚姻関係がその実体を失つたものになつているときは別として、婚姻関係における配偶者が右にいう「配偶者」に該当すると解すべきであるとして、原則として、婚姻関係にある者が右「配偶者」に該当し、重婚的内縁関係にある者はこれに該当しないが、例外的に、婚姻関係がその実体を失つたものになつているときは、重婚的内縁関係にある者をもつて同法の規定する「配偶者」に該当すると解する余地があるとする趣旨の見解を示しているところである。

厚生年金保険法における保険給付の受給権者としての「配偶者」の解釈においても、右と同一の理由により同様の解釈をするのが相当である。そして、遺族年金が被保険者の遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする制度であることに鑑みれば、婚姻関係がその実体を失つたものになつているときにおいては、右関係にある者はもはや右「配偶者」には該当せず、重婚的内縁関係にある者をもつて、法三条二項にいう「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」として法五九条一項に規定する「配偶者」に該当すると解するべきである。

三原告と太郎との内縁関係について

(一)  原告と太郎との間に長男一男(昭和三三年一二月一二日生)、次男次夫(昭和三七年三月二三日生)が出生し、太郎が右二人を認知していることは、当事者間に争いがない。

(二)  右事実に<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1)  原告(昭和五年一月二一日生)と太郎(明治四一年三月二三日生)とは昭和三二年一一月ころ東京都豊島区△×のアパートで同居を開始して以来、同人が昭和五一年一二月八日、胃癌のため入院(同人は入院中の昭和五二年一月一五日に死亡した。)するまで同居を続け、二人の間に昭和三三年一二月一二日に長男一男、昭和三七年三月二三日に次男次夫をもうけた。

(2)  その間、原告、一男及び次夫は、太郎の収入により生計を立てていた。また、原告は、事業資金の調達、作業現場等への車による送迎、作業現場の事務所に詰めての手伝い等により、太郎の経営する××建設株式会社(以下「××建設」という。)の事業に協力し、同人の前記入院後は終始付き添つて看病にあたり、同人の死後、その葬儀を主宰した。

(3)  原告と太郎は、東京都板橋区×△町二丁目に居住した昭和三三年一一月以後、原告が、隣近所の住人との会話中で「奥さん」と呼ばれ、太郎のことを「お宅の旦那さん」と言われるなど、近所の住人や××建設の関係者から夫婦として見られていた。また、昭和四〇年以降、原告と太郎は同人の姪や原告の知人の仲人を夫婦として勤めた。原告は太郎の兄弟と太郎の妻としてつきあい、そのように認められていた。

(4)  原告は、前記同居開始当時から太郎に妻子があることを知つていたが、春美と離婚して原告と正式に結婚するとの太郎のことばを信じて同人と所帯を持つ意思で同居していた。

(5)  太郎は原告に対し、前記同居開始に先立ち、また同居開始後も、春美と離婚して原告と正式に結婚するとの意思を述べ、昭和三七年四月二〇日、原告との間に出生した一男及び次夫を認知し、春美に対して、後記のとおり離婚の申し入れ及び離婚調停の申し立てを行つていた。太郎は人との会話中で、原告のことを「うちのやつ」、「うちの女房」等と呼称していた。

(三)  右各事実を総合すれば、原告と太郎とは、同人の死亡当時社会通念上夫婦としての共同生活と認められる事実関係にあり、かつ、両者ともにそのような関係を成立させ、維持する意思を有していたものと認められるから、原告と太郎とは右時点において内縁関係にあつたものということができる。

四太郎と春美との婚姻関係について

1  請求原因3(三)(1)の事実は、当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すれば、以下の事実が認められ、同認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  太郎と春美との別居の経緯

太郎は、昭和二二年八月以後同人の所有する東京都板橋区△△町の居宅で春美(大正元年八月三日生)ら家族と生活していたが、太郎と春美の夫婦仲はとかく円満を欠いて互いにいがみ合い、時には互いに相手の異性関係を疑つて、太郎は春美に暴力を振い、気の強い春美は太郎をののしるといつたことがあり、また、春美は太郎を馬鹿にして太郎がその事業のために借金をしようとするのを妨げたようなこともあつた。そのような状態のなかにあつて、太郎は、昭和三一年頃原告と知り合つて昭和三二年頃肉体関係を持つに至り、やがて、しばしば原告のアパートに泊り込むようになつた。

太郎と原告との右関係は間もなく春美の知るところとなり、昭和三二年末頃、原告との関係が続いていることに怒つた春美が太郎に刃物で切り付けるという事件を起こし、それ以後、太郎は原告と同居して春美のもとには帰らず、太郎と春美との別居状態が継続した。

(二)  婚姻関係を維持する意思等

太郎は昭和三八年、東京家庭裁判所に離婚調停の申立てをしたが、春美がこれに応じなかつたため不調となつた。太郎は、その後、財産分与として板橋区△△町の居宅を与えるのと引き換えに離婚に応じるよう申し入れていたが、春美はこれに応じなかつた。太郎は、昭和五一年一一月二一日、再度離婚調停を申し立てたが、第一回期日前に死亡した(以上の事実は、調停が不調となつた理由を除き、当事者間に争いがない。)。

春美から太郎に対し、婚姻関係の修復を求めて具体的な行動がとられたことはない。

(三)  太郎から春美に対する経済的給付及び春美の生活状況

春美は、太郎との別居が始まつた昭和三二年末以降も引き続き△△町の居宅に居住し、太郎もこれを容認していた。太郎は右別居開始当時、春美及び冬子の生活費として月額約八万円を夏子に春美のもとに持参させていた(なお、太郎は、××建設の会計上、冬子が結婚するまでの間、同女を従業員として給料を計上し、これを同女の生活費にあてていた。)が、太郎は次第に春美に対する生活費の給付に消極的になり、給付額は減少していつた。

一郎が××建設を退職し、冬子が結婚して同女への生活費の給付が終了した昭和四三年以後、太郎は春美への生活費の給付にさらに消極的になり、嫌がる太郎に夏子が強く要求して無理に金を出させていたが、やがて太郎は、俺の金は俺が自由にするのはあたりまえだろうと言つて、夏子に対し、あてがいぶちで金を渡すようになつた。給付額もさらに減少し、昭和四四年頃には月二万円程度となつた。

そこで、夏子は、昭和四五年から、春美の生活を支えるため、太郎に無断で、××建設の経理上架空の従業員を採用したことにして月額五万円の架空の給与を計上し、右金額を春美のもとに持参していたが、昭和四九年に右事実が発覚し、太郎は右事実を知つて激しく怒り、こんなことをするから春美がなかなかくじけないで籍をよこさないのだ、二万円しか春美に渡さないのは、金がなくなつて生活ができなくなれば、苦しくなつて頭を下げて来て籍を離すだろうから、それを待つているのだと夏子を叱り、同時点で右五万円の給付は打ち切られることとなつた。

なお、春美は、△△町に居住していた間、居宅の一部を賃貸し、昭和四九年頃において月額約一万五〇〇〇円ないし二万円の家賃収入を得ていた。

昭和四九年九月頃、太郎は、ひとつには事業資金捻出のため、ひとつには生活の本拠としていた前記居宅から立ち退かせれば籍をくれるのではないかと春美が自分との離婚に同意することを期待して、同女の意思に反してその居住する△△町の居宅を売却し、その際、同女に右居宅を明渡させるため及び同女との間の離婚調停等において財産分与として与えると約束していた右居宅を同女の意思に反して売却したことの代償として、同女に対して、「月額金七万円の生活費(部屋代も含む)を支払うことを約束する」という趣旨の念書を差し入れた。そして、同女の転居先として東京都北区○△△七丁目にアパートを借り、原告にその家賃を家主のもとへ持参させ、そして、金額は明らかでないが、同女に対し、右アパートから転居するまでの約一年半ばかりの間金員を給付していた。

春美は、△△町の居宅を退去した後、同年一一月から右アパートに居住したが、不本意な転居を強いられたため強い精神的打撃を受け、もう何もかも信用できない心境となり、夏子とも疎遠になつていつた。そして、病気のため昭和五〇年二月から入院し、昭和五一年四月に退院して間もなく、太郎や夏子に連絡することなく静岡県田方郡韮山町の妹のもとに身を寄せ、さらに同年五月頃、太郎や夏子に何ら連絡することなく長崎市の冬子夫婦のもとに移り、昭和五五年八月一日に死亡するまで同所に居住していた。

右韮山町への転居後、太郎から春美に対し金員が給付された形跡はない。

(四)  太郎と春美との間の音信、訪問等の状況

太郎は、別居後、昭和三三年五月頃までは、春美が住む△△町の居宅に立ち寄つたことがあつた。

しかし、その後昭和四九年九月頃に△△町の居宅を売却するまでの間、太郎が春美のもとを訪れたことはなく、太郎から春美に対する前記金員の給付及び離婚の申入れは、太郎が春美に会うことを嫌がつたこと等の理由により、総て××建設において太郎のもとで働いていた夏子を介して行われていた。また、その間、春美が夏子を訪ねて××建設事務所と同一敷地内にある同社社宅の同女方に来ることがあり、その際偶然に太郎と顔を合わせることがあつたが、同人は何をしに来たと言つて怒り、そのことで夏子とも喧嘩するといつた状況で、夫婦としての会話は全くされなかつた。

なお、春美が○△△のアパートに転居した後は、太郎が、前記金員を春美のもとに自ら持参し、同女が不在のため家主に託したこと、同女の入院中の病院を訪れ受付に託したことがあつた。

太郎と春美とは、昭和三五年四月の夏子の結婚式及び昭和三八年二月の一郎の結婚式には、両親として出席したが、以後、対外的に夫婦として行動した形跡はなく、昭和四三年一〇月に行われた冬子の結婚式には同女の意向もあつて春美のみが出席した。

その他、夫婦としての音信、訪問等がなされた形跡は全くない。

3  太郎と春美との婚姻関係の実体の存否について

(一)  婚姻関係が前記二の意味において実体を失つたものになつているかどうかの判断は、婚姻当事者の別居の経緯、別居期間、婚姻関係を維持する意思の有無ないし婚姻関係を修復するための努力の有無、相互の間の経済的依存の状況、別居後の音信、訪問等の状況、重婚的内縁関係の固定性等を総合的に評価してなされるべきである。なお、右判断は、婚姻関係の実体がなくなつたことの責任を問うものではないから、婚姻関係の実体がなくなつたことに対する当事者の有責性の有無、程度は問題とならないものというべきである。

(二) 本件についてこれをみるに、別居に至る経緯は前記のとおりであり、太郎と春美は昭和三二年末頃に別居してから太郎が死亡するまで二〇年近くの期間別居を継続し、離婚調停を申し立てる等太郎は春美との婚姻関係を維持する意思は全くなく、春美の意思は不明であるものの、同女から婚姻関係を修復するための行動はなく、昭和三八年二月に長男一郎の結婚式に出席した後は、夫婦としての音信、訪問等は全くなされず、昭和四九年には、太郎は春美の居住していた居宅を同女の意思に反して売却し、やがて春美は太郎に連絡せずに韮山町に転居し、最終的には三女冬子を頼つて長崎市に居住するに至り、他方、太郎は春美との別居後、原告と内縁関係を成立させてこれを維持し、その間、原告との間に子供をもうけてこれを共に養育し、社会的に夫婦として認められていた等の前記各事実を総合すれば、太郎と春美との婚姻関係は、遅くとも、同女が太郎に連絡しないまま長崎に転居した昭和五一年五月頃には、その実体を完全に失つたものになつたと認めるのが相当である。もつとも、右のように婚姻関係の実体が完全に失われた昭和五一年五月ころから太郎が死亡した昭和五二年一月までの期間は、約八か月であつて、それほど長期間であるということはできないが、しかし、本件の場合、春美はもう何もかも信用できない心境となつて太郎らに何ら連絡することなく東京を離れて長崎の娘のもとに身を寄せたというのであるから、その後このような状態が改善され、婚姻関係が修復する見込みはなかつたものというべきであり、太郎の死亡の時点において太郎と春美の婚姻関係はその実体を完全に失つていたものというに妨げないものといわなければならない。

(三)  太郎が、春美の居住する△△町の居宅を売却した後、前記アパートの家賃を支払うとともに春美に対してなにがしかの金員を給付していたことは、前記のとおりこれを認めることができるが、しかし、これは、太郎が春美にその意思に反して売却した右居宅を明渡させるため及び春美との間の離婚調停等において財産分与として与えると約束していた右居宅を春美の意に反して売却したことの代償として給付していたものであつて、特段同女との間の婚姻関係の維持存続を目的ないし前提として給付されたものではないと認めるのが相当であるから、右事実があるからといつて、太郎と春美との間の婚姻関係が実体を失つていなかつたものとみることはできないというべきである。のみならず、経済的給付自体は、離婚した夫婦間においても、財産分与あるいは慰謝料といつた意味合いをもつて行われることがある(米国法においてはアリモニーという離婚後の扶養の制度があることは、周知のとおりである。)ことに鑑みると、経済的給付の状況は、婚姻関係の実体が失われているかどうかの判断要素の一つにすぎず、経済的給付が少しでもあれば、常に婚姻関係の実体が失われたものではないと解することは相当でないというべきである。

なお、<証拠>によれば、太郎が、昭和五一年八月二四日付け公正証書をもつて、同人所有の東京都文京区○△五丁目所在の土地、建物を春美と冬子に各持分二分の一ずつ相続させるとの遺言をしていることが認められるが、しかし、右証拠によれば、右公正証書は、弁護士の指導のもとに作成されていること、右遺言により、原告、一男及び次夫に太郎の最大の財産である××建設の株式の大半を与えていることが認められ、これに法律上の配偶者である春美が太郎の遺言について相続権及び遺留分を有することを勘案すると、右遺言は、太郎が、弁護士と相談のうえ、原告らが太郎の死後も同人の生前と同様の生活を維持することができるように原告らに太郎の主たる財産を遺贈することを目的として作成したものであり、春美との関係においては、同女と実質的に離婚状態にあることを前提とする財産分与の趣旨(よつて、給付内容も、太郎が離婚調停等の際に財産分与として提供する旨申し出ていたものを超えるものではない。)で作成したものと認めるのが相当である。したがつて、春美らに対し右遺言がされたことをもつて、太郎と春美との婚姻関係が実体を失つていなかつたとみることはできない。

五以上によれば、太郎の死亡当時、原告と太郎とは内縁関係にあり、他方、太郎と春美との婚姻関係はその実体を失つたものとなつていたと認められるから、原告は、法三条二項にいう「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」として法五九条一項に規定する「配偶者」に該当するというべきである。

したがつて、本件処分には右要件の認定を誤つた違法があるものといわざるを得ない。

六よつて、原告の請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宍戸達德 裁判官山﨑恒 裁判官中山顕裕)

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